水で乾杯は縁起が悪い!?その理由とは?

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パーティやイベントなどの打ち上げで乾杯する機会がありますが、すべての人がお酒を飲めるとは限りません。

そうなると、お酒が飲めない人は水を入れたグラスでやり過ごそうとした経験もあるのではないでしょうか。

しかし、水で乾杯することは縁起が悪いので避けたほうが賢明だと言えます。

そういう場面に遭遇したら、形式的に口を付けるだけでも問題ありません。飲めなくてもグラスにお酒を入れてくださいね。

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水で乾杯すると縁起が悪いと言われる理由

水で乾杯することを、水杯(みずさかづき)といいます。水杯とはもう会えない相手と交わす杯のことですので、お祝いの席では相応しくありません。

正式な水杯はお互いが水の入った杯を持つことですが、例え自分だけが水杯を持つ場合も縁起が悪いとされているのでやらないほうがいいですね。

水杯のルーツである「末期の水」

昔から行われている風習に、「末期の水(まつごのみず)」と呼ばれるものがあります。亡くなった人に対して、その近親者が唇に水を含ませる行為のこと。

最期に水で潤わせて、「あの世へいってものどが渇きませんように」という想いが込められているのです。「死に水をとる」ともいいます。

この「末期の水」が、水杯のルーツだと言われているのです。生死の分かれ目を連想させることから、水で乾杯するのは縁起が悪いという流れになったのでしょう。

「末期の水」は、お葬式で聞いた経験がある人もいるはず。仏教の宗派に関係なく行われている風習ですが、浄土真宗では不要とされています。

元々の由来は、お釈迦様の時代にまで遡ります。お釈迦様が入滅(亡くなる)のとき、のどが渇いたので水を欲しがりました。

弟子に持ってくるように頼んだのですが、なかなかキレイな水が見つかりません。弟子が困っていると鬼神がやってきて、キレイな河から水を汲んできてくれたというエピソードに由来します。

この出来事でお釈迦様は安らかに入滅できたとされているのです。あの世への旅たちにのどが渇いて苦しまないようにとの願いから、末期の水の風習が仏教で広がりました。

ただし、浄土真宗では亡くなったら成仏してあの世で苦しまないという教えがあるので、末期の水は行いません。

特攻隊と水杯のエピソード

水杯をすると縁起が悪いと言われるもうひとつの理由に、特攻隊のエピソードがあります。

水杯は今生の別れを意味することから、太平洋戦争時に特攻隊が出撃する前にお互いの杯を水で満たして飲み、さらにその杯を割っていたと伝わっています。

特攻隊の「別盃」について
最近読んだ本に、特攻隊員は出撃前に菊花紋章(?)のある盃で別盃を酌み交わし、その盃を割ってから出撃していったとありました。
(中略)
特攻隊の場合でも、帰還しません。必ず一死をもって戦果を遂げます。という誓いの意思を表すために、再度この酒を飲むことはないぞ!と酒を受ける盃を割って出撃をします。

引用元:Yahoo!知恵袋

杯を割る意味はいろいろな説がありますが、「死を掛けた覚悟の表れ」だったり、「もう二度とこの杯を使わない(杯を交わすのはこれが最後)」など。そんな想いが込められている別れの儀式だったとか。

百田尚樹さん原作の映画、「永遠の0」でもそのような描写があります。

「永遠の0」は現代を生きる姉弟が、特攻隊員だった祖父のルーツを辿るストーリーとなっており、特攻に出撃する前に杯を割る場面があるのです。

水杯の意味を知ってから観ると、また格別な想いが込み上げてきそうになりますね。

一体どんな気持ちだったのかなんて、現代をのんびり生きている私には理解できませんが、戻ることがないと知りつつ戦場へ向かっていく若者がいたのだと思うだけで涙が止まりません。

こういうエピソードは、これから先も伝え続けていかなくてはいけないと強く感じます。

まとめ

水で乾杯することは「生死の別れを意味する末期の水(まつごのみず)」を連想させることから、縁起が悪いと言われています。

また、実際に水杯をして、決死の覚悟で散っていった特攻隊の若者がいた事実も忘れてはいけません。

どうしてもお酒が飲めない場合は口を少し付ける程度でも大丈夫ですので、水での乾杯はやめておきましょう。

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